想像できますか?印刷の無い世界を

中国の摺仏からはじまる印刷の歴史
普段、別段に意識することなく、印刷はわたしたちの世界に根付いています。書物や商品パッケージ、チラシなど紙に刷るものだけでなく、プラスチックやフィルムなど、あらゆるものが刷り物として扱われています。我々の暮らしに欠かせない印刷とは、いったいいつからはじまったのでしょうか。
印刷と深い関係にある「紙」が発明されたのは、中国の後漢時代西暦105年。木の皮や麻などの植物繊維を砕いて抄いたのが始まりです。それまでの粘土板に楔で刻みつけ天日で乾燥させることで記録していたメソポタミア時代や、エジプトで使われていたパピルス等と比べてはるかに優れた、現代につながる製紙技法の画期的な誕生です。この製法は610年に高句麗(朝鮮半島北部)を経由して日本にも伝えられました。和紙は、これを改良したものと言われています。
そして木版印刷は中国での“摺仏”から始まります。ヨーロッパでは早いうちから陶、銅で作った活字が加わり、金属活字が盛んになっていきますが中国では木版が主流でした。アルファベットと違って文字数が極端に複雑に過ぎるため、多く木版印刷が中心だったのです。この点は、日本においてもまったく同じ事情があったのは想像に難くありませんね。

印刷の無い世界〜減少するモノへの需要〜
パソコンやスマートフォン、タブレットなどの台頭で、印刷物の需要はここ10年で大幅に減少しています。書籍が売れなくなり、替わりに電子書籍の需要が増しています。音楽ソフトも変化してレコードからCD、そして今はMP3などの音楽データとしてスマートフォンで手軽に楽しめるようになったため、ジャケットや歌詞カードが必要なくなっています。電化製品などの取り扱い説明書も企業のウェブサイトからダウンロードする形式のものも増えています。年賀状もメールで済ませる人が多くなりました。大量の紙のゴミを出すのをよしとしない世相もあり、オフィスでもPDFやエクセルデータなどの電子のやりとりで済ませる事も多いでしょう。
最近よく聞くようになった「ミニマリスト」という言葉をご存知ですか?無駄なものをすべて削ぎ落とし、最小限のものだけで合理的に生活していく。この概念の前では、印刷は風前の灯火といえます。印刷されるものの多くは「情報」であり、究極には手にとる必要はなく、データに換算できるものだからです。極論を言えば、無いものとしても生活は成り立ってしまうのです。しかし本当にそれだけで人間は生きていけるでしょうか。

世界は印刷で溢れている
古来より印刷によって我々がもたらされるものは「豊かさ」です。宗教の教えであったり、暮らしに役立つ情報であったり、庶民でも手にすることができる芸術品であったりと、多岐に渡り豊かさを提供します。美術品の絵画など、作家による肉筆画だけが本当の芸術かと言われれば答えは否です。一部の高等民族だけでなく、庶民にも手にも届く、江戸時代に大流行した「錦絵」(浮世絵)などが良い例となります。絵師、彫師、摺師の分業体制で作られた浮世絵は、今で言うグラフィックデザイナー、製版業者、印刷業者に当てはめることができます。
あらゆる事象が電子データとして画一化されていくのは、人間が持っている性とも言えます。人は混沌を嫌い、集約と統一に向かうものだからです。長い時間をかけて便利で無駄が無いものに変化していくのは当然のことで、決して悪いことではないと思います。しかし、人間には古来から分類される五感、すなわち視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚が備わっています。視て、聴いて、触って、実体験を蓄積していくのはデータでは恐らく不可能でしょう(少なくとも10年20年では)。世のなりたちを印刷によって知り、さらに印刷によって残す。豊かさを享受するこのツールは、絶えることなく続いていくのです。

  • 最終更新:2016-05-12 20:29:07

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